江戸時代、人口100万人の大消費都市であった江戸には、大量にお酒が運ばれていました。
その中でも灘(現在の大阪湾に面した神戸市東部から西宮市今津に至る東西約20kmの沿岸部)の
お酒は、なんと年間約100万樽、江戸に運ばれるお酒の約50%を占めていたとのことです。
単純計算をすると、江戸っ子は年間で1人あたり1樽(容量72ℓ)の灘酒を消費していたことになります!
灘酒が躍進した理由としては、以下があげられます。
・六甲おろしの寒風が、お酒造りに適していた
・海岸に近いため、樽廻船による大量輸送が可能であった
・酒造技術が優れている、丹波杜氏が得られた
・西宮から湧き出るお酒造りの命の水、宮水を得られた
・天下の台所大阪に近く、良質の酒米を得られた
・六甲の急流を利用した水車精米が可能であった
・杉樽の原料、吉野杉に恵まれた
など、いくつもの理由が重なって、美味しいお酒を大量に作ることができるようになったのです。
江戸には大量の四斗樽(容量72ℓ)が流れ込みました。
ある樽は飲み屋の腰掛け、ある樽は家庭で入れ物として使われましたが
この他に沢山の割り箸にもなったようです。
日本人の心には、江戸時代から既にECOの意識があったのですね。