日本酒豆知識: 2009年11月アーカイブ

江戸時代、人口100万人の大消費都市であった江戸には、大量にお酒が運ばれていました。

その中でも灘(現在の大阪湾に面した神戸市東部から西宮市今津に至る東西約20kmの沿岸部)の

お酒は、なんと年間約100万樽、江戸に運ばれるお酒の約50%を占めていたとのことです。

単純計算をすると、江戸っ子は年間で1人あたり1樽(容量72ℓ)の灘酒を消費していたことになります!

灘酒が躍進した理由としては、以下があげられます。

・六甲おろしの寒風が、お酒造りに適していた

・海岸に近いため、樽廻船による大量輸送が可能であった

・酒造技術が優れている、丹波杜氏が得られた

・西宮から湧き出るお酒造りの命の水、宮水を得られた

・天下の台所大阪に近く、良質の酒米を得られた

・六甲の急流を利用した水車精米が可能であった

・杉樽の原料、吉野杉に恵まれた

など、いくつもの理由が重なって、美味しいお酒を大量に作ることができるようになったのです。

 

江戸には大量の四斗樽(容量72ℓ)が流れ込みました。

ある樽は飲み屋の腰掛け、ある樽は家庭で入れ物として使われましたが

この他に沢山の割り箸にもなったようです。

日本人の心には、江戸時代から既にECOの意識があったのですね。